切腹の間とは
[1]
- 武士が切腹する際に使用するものとして、屋敷にしつらえた部屋のこと
現代での多数意見
[2]
- 真ん中に半畳[3]を入れた四畳[3]半の敷き方は切腹の間である
- 切腹の際にはその半畳[3]を裏返し[4]て汚れないようにして切腹した
- 左回りの敷き方は寺社のマーク「卍」になり切腹の間になるが、右回りの場合は問題が無い
- 切腹の間を自宅に作るのは縁起が悪い
実在したのか?
[6]
- 画像から見るに、七畳[3]半の部屋が切腹の間のようです。
- 畳[3]の敷き方は、中半畳[3]の四畳[3]半+三畳[3]ではありません。
- 敷き方は屋敷が建てられてから変更があった可能性もありますし、「隣の三畳[3]が検死の部屋」という話もありますが、少なくとも柱などの構成から見て、途中に敷居や柱は無く最初から七畳[3]半であった可能性の方が高いです。
- よって「中半畳[3]の四畳[3]半が切腹の間である」という話は証明できません。
- となると「左回り・右回り」の区別は無い、と言えます。
- 切腹は、単なる自殺や、刑罰としての死罪(斬首)とは意味が違い、武家としての責任を取る一つの形式と考えられていました。
- そもそも自身の腹を切るというのは、かなりの苦痛を伴い死にきれない場合も多く、介錯が必要となっていました。
- 単なる自殺として切腹を選ぶことは少なく、身投げ・入水・首つりが殆どでした。
- 切腹はその行為を知らしめる意味もあり、武家が自身や一族の名誉を守る意味合いもありました。
- 武家が死罪(斬首)となった場合に「切腹すらさせてもらえなかった」という不名誉な死が言い渡されたとの意味になります。
- 前述の代官屋敷でも、屋敷に切腹の間をしつらえたのは「何か問題が起きれば、切腹すら行う覚悟で職務にあたる」という強い責任感の表れと言えます。
以上のことから、四畳[3]半の部屋が切腹の間という考え方は無かったと思われ、それによって「半畳[3]をひっくり返して~」や「卍の敷き方は~」などということも無かったと思われます。
そして、切腹自体は人の死に関わることで軽々しく言うべきでは無いのでしょうが、少なくとも「縁起が悪い」などの感覚を持つものではないでしょう。
- 上記記述は、考察から風評を否定したものであり、証拠を持ってして否定したとは思っていません。
- が、しかし風評が大多数を占める場合に、いくら正しいと言うことであっても、それを説明できないことや、第三者がどう思うのか?なでを考える必要はありそうです。
- 例 いわゆる切腹の間をデザイン的に採用した施主がいたとして、その友人が家を見に来たときに何というか?