畳のサイズ
歴史的背景
(Tackmix の考察)
- 日本の家屋は、もともとは畳の大きさに合わせて作られていたと言われている。
畳のサイズが地方で違うのは、おそらく長さの基準として使っていたのが検地棒であったからだと考えられている。幕府の税制土地の広さなどの測量に、その基準となる長さが必要だった。
城内の「柱の中心から柱の中心まで」が基準となり、これが検地棒として定められた。
- 家屋の建築では、生産性の向上から基準の長さを必要としたのは想像に難くない。
現代のように、正確で長い測定器(メジャーや定規)が無い時代に、唯一長さの基準として使えたのは検地棒であったのであろう。この名残は、6尺(畳の長辺)を一間というところにもある。
これによって、幕府が栄えた土地の付近一帯で長さの等しい畳が増えたのだろう。
- 中京間が小さくなったのは、幕府が財政確保のために検地棒を短くしたためと言われており、もともと「柱の中心から中心まで」が、「柱の内側から内側まで」となり柱一本分(つまり3寸・約90mm)小さくなったのだと思われる。
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初版日時: 2007-03-25 (日) 06:05:00
最終更新: 2007-03-25 (日) 06:05:00 (JST) (6598d) by ゲスト